Vol.08

ジャポニスムハイステージ

2008年春にスタートした同シリーズは、コスト的な制約や知らないうちに染み付いたメガネ作りのセオリーなどを一旦まっさらにし、眼鏡デザインにおいて何が可能かを徹底的に追求したシリーズです。ジャポニスムにおけるオートクチュールのような位置付けにあり、これまでに4型を発表しました。

JN-1001 製作秘話

JN-1001 2008年春 発表

ハイステージの最初のモデルJN-1001は、2008年春に登場しました。

ちょうどJN-1001を発表する以前、チーフデザイナー・笠島は、日本やアジア諸国でも、ジャポニスムのコピー商品のように思われるものを多く見かける印象を持っていました。

最初はそれに負けじと、製造難易度の高いフレームを製作し応戦していましたが、1年もしないうちに同じようなものが出てきてしまう状況を受けて、何か打って出る手はないかと考えていました。

このようないたちごっこを繰り返しているうち、アジアの巨大さに、そのまま力勝負で立ち向かうのではなく、本当にいいものとは何か、どんな商品なら負けないかを見出し、それをカタチにしていくべきなのではないかと考えるようになっていたのです。

同時にこれは、無意識のうちに習慣化されてしまった自分のデザインの癖や、自らに設けてしまっていた制限などもここで一旦見直し、改めて眼鏡に立ち向かうチャンスでもあると彼は理解していました。そこで笠島は何度も深い思考を重ねました。

そしてたどり着いた答えは、シンプルで無駄を削ぎ落としたデザインのもの、そして何よりも見た目だけではない、誰にも真似の出来ない”雰囲気”を持つフレームを作り上げたいということでした。ここでいう「シンプル」とは、問題を簡素化するという意味ではなく、デザインの仕上がりや、構造上の合理性を美しくシンプルにするという意味のことでした。

ですからこのシンプルさを追い求めるには、むしろ新たな工程が増えてしまったり、返って予算や手間が増えてしまうリスクを伴っていました。しかし、そうした今までであれば諦めてしまっていたかもしれない追求に対しても挑み、様々な制限を乗り越えた先にあるものを作り上げていきたいと考えたわけです。

こうしたコンセプトのもと進めていったJN-1001の製作は、結果的に既成概念に縛られることのない”もの作り”をしていこうという、ブランドアイデンティティ自体を見つめ直すいい機会となり、その後のブランディングにも大きな影響を与えていきました。ジャポニスムにとってこれは大きな転機となったのです。

このシンプルに削ぎ落としたデザインを実現するため、このモデルには様々な考慮がされています。

たとえば、通常であればほとんど同じ厚みで処理されることの多い、フロントのチタン板材にも徹底的にこだわり、センター付近に厚みを持たせてエッジを強調し、両サイドは微妙に薄く、そして曲線的なデザインにしました。テンプルの外側もそれに合わせ、徐々に丸みを持たせています。

こうしたこだわりには、大きな製造的リスクが伴うもので、フロントセンター付近のエッジの効いたデザインを作り出すには、プレス金型が割れてしまうリスクが非常に高くなります。

上部から見たテンプル中央辺りの厚みは、通常であればどんなに薄くとも3mm以上はあるものですが、これを2.6mmまで薄くし、極端な強弱を表現しました。この極限まで薄くしたテンプルは、中の芯が見えてしまう確率が高まるため、最終的に人の手(ケサギという作業)で仕上げてる必要がありました。

フロントの厚みが均一で、テンプルの厚みが3mm以上あっても、メガネを掛ける行為自体に影響を及ぼすことではないため、ほとんどの方には気付かれないようなことなのかもしれません。

しかし、こうした細部へのこだわりを随所に積み重ねたことにより、デザイナーが目指した「雰囲気」というものが、このモデルに宿ったのではないかと考えています。

JN-1002 製作秘話

JN-1002 2009年春 発表

JN-1001を発売した1年後、好評を得たハイステージシリーズの第2弾を発表しました。それが圧倒的な存在感を表現したJN-1002です。

JN-1002を進める上で、ファーストモデルのコンセプトが、自分が今作りたいと思うものの足かせになってしまうようなジレンマを抱えていた笠島は、ここでもう一度、JN-1001で作り上げた価値観を壊してゼロの状態にしようと考えました。それは、JN-1001で、その時に表現したいことを作り上げたという達成感があったからかもしれません。

また、笠島は、テレビなどで俳優がメガネを掛けることで堂々と演じることが出来るようになったというような話を聞くたびに、眼鏡は人の性質そのものを変えられる可能性を秘めているものだと痛感していました。

そこで彼は、次のフレームには、外見的な条件もさることながら、メガネを掛ける人の内面を押し上げることのできる、目には見えないオーラが立ち登るようなフレームを作りたいと思うようになりました。つまり眼鏡が持つ力を、次のフレーム作りのコンセプトに取り込んでいきたいと考えたわけです。上質なスーツやアクセサリーが、人生の重要な場面を押し上げサポートするように、眼鏡が、買っていただく方の人生にいい影響を与えるものにしたい。それがJN-1002に求めた形であり、それこそが次に表現したかった”眼鏡にとっての可能性”でした。

こうしてスタートしたJN-1002は、製作を依頼するメーカーさんにもいつも以上に拘りました。それは、形もさることながら、求めたオーラを生み出せるフレーム作りが必要だったからです。

守秘義務によって名前を明かすことはできませんが、ただでさえ工程が多い眼鏡作りに、更に見えないところにまでチェックをするというメーカーさんに製作を依頼しました。その仕事の素晴らしさは、某有名高級ブランドがオリジナルのフレームを製造するときに与える許可を、国内で唯一得ているということからもお分かりいただけると思います。

また、メガネの仕上がり具合の雰囲気をもチェックする工程があると、まことしやかな都市伝説まで業界内で流れているほどの方達でした。当然、こちらもさらに本気のモノづくりをしなければなりませんでした。

こうしたこだわりを重ね仕上げたJN-1002のデザインは、様々な特徴を持っています。JN-1002では、今までにない新しい立体感を追求するため、フロントを上下で別パーツとして作りドッキング(ロー付け)させ、レンズはネジで固定するような設計にしました。上下別々のパーツとしたのも、一体では出来ない、より緻密な三次元形状を実現するためでした。それにより特別な立体感を持つフレームが誕生しました。

そして、眼鏡を掛けた時の、正面から見たテンプルの縦軸の傾斜にも気配りをしました。底面が外に広がり「ハの字」に見えてしまいがちなテンプルの特性を、掛けた時によりシャープに引き締まる印象を生み出すよう、逆ハの字に設計しています。

こうして完成したJN-1002は、JN-1001の柔らかい雰囲気とは対照的に、全面的にエッジの効いた、オーラを放つ前衛的なスタイルとなりました。

JN-1003 製作秘話

JN-1003 2010年春 発表

1年ごとに発表することとなったハイステージ。このモデルも、前作のJN-1002からちょうど1年後の発表でした。

JN-1001、JN-1002と代わって、担当したのはもう一人のジャポニスムデザイナーである脇 聡。

実はJN-1003というモデルは、元々はJN-490というモデルとして企画を進めてきた経緯がありました。しかし製造の限界点に挑む姿勢はまさにハイステージとしても遜色ないものであると考え、製作途中からハイステージへとランクアップしたモデルです。

脇は、このモデルの製作にあたり、材質はチタンを使い、しかもプレス(鍛造)でしか作ることのできない究極の形を作れないかというところからスタートさせました。強度と軽さ、そして細さを兼ね備えられるということがこの素材と加工法の特徴ですが、機能性だけでなく、ジャポニスムらしい奥行き感と流線的な流れを表現した究極の形を描いてみたいと考えたのです。

仮に、JN-1003のフロントを、アセテートや樹脂で製造すると強度に不安が残り、鋳造で製造すると重さがネックになります。そのため、素材はチタンに絞り、製造方法もプレス(鍛造)が必須の条件でした。

この複雑なフロント形状は、チタンプレスでは前例のないデザインだったため、部品を発注してから仕上がるまで、脇はほぼ毎日のようにプレス部品のメーカーさんに通い、このデザインを実現させるのは不可能に近いと嘆く担当者を説得しながら、一歩一歩その工程を進めていきました。

後日談として、同メーカーの社長から伺った話ですが、JN-1003の特殊な形状のものは、工場内で一人の方しかプレスできず、さらに1ヶ月以上も掛けてようやく完成させた金型が、1回目のプレスでいきなり割れてしまったそうです。その時は、さすがに大の大人が何度も泣き崩れたというほど、そのフロント形状を作り上げるのは至難の技でした。

通常であれば大量生産が可能なものが、あまりの難易度の高さから、製造可能な枚数もせいぜい月に70〜100枚ほどに制限されました。また、素材として使われるチタンも、質が悪いと不良率が高まるため、特注のチタン材を使用し、結果的に非常に類稀なモデルが誕生することになりました。

ここまでの無理難題を乗り越えた製品を仕上げることができたのも、技術と精神力、そして究極の良いものを作ろうというメーカーさんの持つクラフトマンシップのおかげだと、デザイナー脇は頭が下がる思いであると今でもよく語ります。

このように、様々な制限を乗り越えながらも、デザイナーが本当に作りたかった形を追い求めたフレームが、ジャポニスムの最高峰に位置するジャポニスムハイステージです。

どのモデルも生産すること自体が難しく、数の少ない希少なフレームでしたが、100年以上もの間続けられてきた眼鏡作りのまち鯖江市にある高い技術、そして多くの方の熱意があったからこそ、この難解なデザインを形にすることができました。

そしてそこには、我々が思うジャポニスムのブランド哲学のこもった、究極のフレームの形が表現されました。