東京で工業デザインを学んだ後、20歳過ぎくらいの頃に海外放浪をしていました。そのときに一時帰国した際、いとこである社長にお土産を持って挨拶に行ったんです。本当はその後、東南アジア諸国を放浪しようと考えていましたが、社長に今から入社して働かないかと誘っていただいて、そこから今に至ります。そのときの縁と、そのタイミングがあったから、ですね。
もともと小さい頃からモノを創作するのが好きでした。そしてその創ったもので人が喜ぶことを自分の喜びと感じていたので、デザイナーという職業はそれらを満たしてくれるものだと感じています。今思えば、あの時にお土産を渡しに行ってよかったなと思います(笑)。
個人としてもブランドとしてとても、重要視してきたことは、 既存のもの又はそれまでに自分が創ったものの構成やセオリーを一旦壊し、それまでにない新しい何かを見つけてカタチとしてまとめていくことでした。ですから、この20年間はそうした眼鏡にとっての既存のつくりや構成の進化を少しづつ積み重ねてきた20年だったと思います。
思い出は、いいことも、いやなことも含めてたくさんあるのでその中で一番を挙げることは難しいですが、ただ一つだけ言えることは、おおよそ?わくわくしながらやってきましたし、いいこともいやなことも含めて楽しんでやってこれたと思います。
デザインに直接関わることではないですが、ユーザー、販売者、生産者、デザイナーがバランスよく潤う結果に繋がっているか。このバランスがぴったり合うことは本当に難しいですが、常にそれを念頭に置いています。
自分は最初の発想をベースに、ある程度の期間をもって見たり感じたりしたことを活かしてカタチを創っていくように心がけているので、できる限り最初の段階でデザインを固めないようにしています。なので最初のラフスケッチは出来るだけ抽象的にしてあまり枠にはめないようにしています。
変わったことは、どうしても普段過ごしていて、すれ違ったり見かけたりする人のメガネを全て、いちいちチェックしてしまうこと(笑)。変わっていないことは、目に入るモノをいちいち違う角度から見ること。 デザイン思考からプロト製作、量産、販売まで、そうしたことにひと通り関わりながら、ものづくりが出来ることは喜びですし、あと、街中で作ったメガネを掛けたユーザーを見かけることに、ちょいちょい喜びを感じながら日々仕事しています。
去年からメガネデザインという科目を受け持つことになり、改めてメガネデザインの奥深さに気付くことになりました。今の学生のポテンシャルを感じますし、自分自身もメガネデザインにおいてまだまだやるべきことが沢山あるなと。実際に学生がデザインしたものが商品化されていますし、とても有意義な経験でした。
柔軟で実行力のある市長を筆頭に、既存の地場産業にとどまらず新しい取り組みを推し進めていて刺激を受けますし、未来を感じます。メガネ産業自体厳しい点もありますが、新しいことを結果に結びつけているところは生き残っていますし、自分自身もメガネ産業の従事者として常に前向きに取り組んでいきたいです。
メガネというビジネスがなくなることはないと思います。メガネはメガネで新しい価値を見出しながら存在を維持しているところが面白いし、今後も楽しみだと思います。
既存のメガネに関してはデジタル化とは無縁ですが、かたや五感を全て感じ取る頭部はウェアラブルコンピューターにとっては一等地ですよね。いまはまだピンとくることは難しいかもしれませんが、今後5年後10年後には、アイウェアの新しい一つの価値として受け入れられているのではないかと思うので、会社として積極的に捉えているところです
顔に掛けるアイテムということは、人種の骨格の違い、そして趣味趣向の違いがはっきりでるので、ここにグローバルスタンダードを見つけるのはかなり至難な技かと思いますが、逆にいうと統一化できないということはその違いの数だけビジネスにもなる。昨今ではクラシカルスタイルが確かにスタンダードになっていますが、それだけに迎合せず、新しいスタンダードが創れたらと思います。
まず、しっかりと目にメリットを与えること、そして掛けやすくそしてなんといっても掛けた人の気持ちをアップさせる事。メガネはその人の価値観、センス、経済力などを一目で感じ取られてしまうアイテムなので、しっかりとした良いものを作っていきたいと考えています。
笠島博信 ジャポニスムチーフデザイナー
1971年 福井県鯖江市生まれ
1991年 東京デザイナー学院 工業デザイン科卒業。その後知識を広げるため渡米。
1994年 (株)ボストンクラブ 入社