ジャポニスムとは

ジャポニスムって何だろう?

「ジャポニスム」という言葉が、日本的なのことを表しているのは一目瞭然ですが、元々はどういう意味を持つのか、みなさんご存知でしょうか?
そもそもこの言葉が使われだしたのは19世紀のフランス。ヨーロッパではその頃すでにシノワズリーという中国趣味の美術様式が流行っていました。外国にあこがるのは今も昔も同じなようで、当時のヨーロッパでもオリエンタルな異国情緒あふれるアジアンテイストがブームとなっていました。
ちょうどその頃、日本へも黒船が来て開国となり、日本美術がヨーロッパへと流れ出しました。また、万博への出品をきっかけに、日本産の様々なものはヨーロッパで大きな関心を集めていきました。
こうしてヨーロッパに広まった日本美術も、最初の頃は中国文化のように「ジャポネズリー」と呼ばれ、あくまでも「日本的な趣味趣向」を指すだけでしたが、しだいに日本の美術が西洋のアーティスト達の作品に大きな影響を与えるようになります。
このように、ヨーロッパの美術やファッションに日本文化が与えた大きな大きな影響は「ジャポニスム(Japonisme)」という風に呼ばれるようになりました。

ゴッホが模写した当時の雑誌。

絵画・デザインとジャポニスム

その中でも浮世絵の影響は大きく、多くの印象派の巨匠が、若き日に影響を受けています。
生涯に一枚しか絵が売れなかったゴッホが、477枚もの浮世絵を持っていたという話がありますから、金額的にも購入しやすかったのでしょう。そうした広がりやすさもジャポニスムが受け入れられた要因と思われます。そもそも国内では浮世絵はそう高いものではなく、今でいう400円程度のものだったそで、古くなったものは、陶器の包み紙に再利用された程...西洋のコレクターがその紙をみて本物を探したなんてエピソードもあります。世界をリードしていた西洋の中でもとても重要であった絵画に、これだけ大きな影響を与えたことを考えますと、それは単に文化的な側面だけではなく、地球規模の美意識を変える大きなことでありました。

また、デザインという分野においても、大胆な構図の採用や色鮮やかな色面構成など、この時にジャポニスムがなければ、その後の未来は大きく変わったのではないでしょうか? 本当に同時の日本には脱帽する思いです。

エドゥアール・マネ:『笛を吹く少年』(Le Joueur de fifre)

エドゥアール・マネ
笛を吹く少年
写実的な当時のヨーロッパの絵画には、輪郭というものは認められていませんでした。この絵に描かれている輪郭のようなズボンの黒い線は、浮世絵から影響を受けたと考えられています。また、背景を単純化し色面として扱ったことは当時としては珍しく、ここにも浮世絵からの影響が見受けられます。

アドルフ・クレスパン
建築家ポールアンカー
日本的な平面構成の影響を感じられるポスターデザイン。人を中央位置から外すものの、色や形、空間により均整のとれた構図を描いています。煙の表現方法、繰り返される文様など日本的な表現があちこちに見受けられます。

ファッションとジャポニスム

様式から解放された絵画と同じように、当時のファッションもまた、コルセットなどから解放された時期でもありました。そうした中、貴族たちはこぞって着物のようなガウンを羽織り、日本美術だけでなく、日本人が昔から着ていた着物も西洋ファッションに大きな影響を与えていきました。
あのルイ・ヴィトンを代表するモノグラムも、実は「日本の紋」から発想を得ているそうです。
80年代における日本人デザイナーが世界を圧巻した現象もまた、西洋からは見ることのできない逆説的な、つまりは日本的な物事への視点ではないでしょうか?

展示会「モードのジャポニスム」ポスター

このように、ジャポニスムとは単に日本的なとか、日本的な見た目という意味ではなく、日本独自の美的観点をベースにした、今までの世界にはなかった価値観なのです。